私の家ができるまで

新築建築までに起きた出来事 

断られるまでの…

                                                 

今、農地転用の許可を待っている。この土地を手に入れるため、

もうかれこれ8ヵ月は待ち続けている。

 

————家を建てるため————

 

この土地を見つけたのは工務店さん。

工務店さんとの家づくりを決めたのは去年の7月。

 

前の工務店さんとの破談の後だった。

 

 

前の工務店さんとの打合せは2020年の1月頃から。4、5回ほど事務所へ赴いただろうか。

住宅や設備の説明、坪単価、我が家のファイナンシャルプラン、手がけた地元の住宅の紹介……そんな説明を聞き、話合いをした。

でも、ある時を境に工務店さんからの言葉は「私達には難しいです。」の一点となってしまう。

 

———これは前の工務店さんに断られるまでの出来事。

 

電話で営業担当の方と話をした時のこと。

「私は家を建てることがとても大事なんです!夢なんです!」

そんな言葉をぶつけた事がある。

その時、担当の方は「その情熱を家づくりに。」と言っていた。

その数日後のこと。家造りの質問があり電話連絡をいれた際、他の住宅展示場で息苦しくなった事があったという話をした。

「アレルギー体質的な部分があり、大丈夫だとは思うんですがちょっと気になっていて。これまで他の家でなった事はないんですが、一度、他の展示場で息苦しくなった事があって....大丈夫ですよね?。」

と聞いてみた。

 

この発言が破談へと動いてしまう。

 

約束していた打合せに行った際、以前までいた社長さんの姿はなく、営業担当の方だけだった。

「絶対にこれが原因でアレルギーになるという事が分からない限り、家を造るのは難しいです。これです、というはっきりしたものがなければ、建てるのは難しいです。」

そう、言われた。

「ならば、調べて原因がわかれば建てれるということですよね?調べてみます。」

そう言って私は調べはじめた。

 

 

まずは息苦しくなったハウスメーカーの展示場にもう一度行ってみようと思った。コロナ禍の中、住宅展示場のオープンは困難で、出向いても断られたり、閉まっていたりでなかなか原因追及が進まなかった。実際行けたのは1ヶ月ほど経ってからだったと思う。

他のハウスメーカーの住宅展示もいくつか回った。来場中、マスクをそっとずらし、匂いがしないか、気管に苦しさはないか確認した。

次に住宅の情報を扱う会社に電話して聞いてみた。これまでのお客さんの事例など話してくれ、自らの知識も教えてくれた。そこで聞いた情報を工務店さんに見てもらうため文章にまとめた。

ネット検索もしてみた。同じワードが何度も出てきたりするが、これといった答えは見つからない。

アレルギー反応が起こる際、何となく匂いがする。建材の匂いを嗅ぎに、ホームセンターやメーカーのショールームに行っては、匂いを嗅いだ。

何に自分が反応するか知ろうとした。

病院にも行った。アレルギー検査をしてもらおうと思った。その時、先生はアレルギー検査を行わず、話をしてくれた。

「建売を買うか、全て無垢材にするなどするしかなくなるのではないか。もし、本当にどうすることも出来なくなったら、ここの建築会社に聞いてみるといい。」

そう言って一枚の紙を渡された。ドイツだかスイスだかに行った人で、住宅に関してとても詳しいらしい。頼みの綱を渡してくれた気がした。

この時、アレルギーなんてものはあってないものだと思えていた。

 

病院の先生に貰った紙に書かれていた会社へ電話しないまま、数か月ぶりに工務店に連絡をとった。

ここまで調べたら十分理解してもらえると確信し、6月頃、以前に聞いていた住宅内覧会を見させてもらいに予約し、話をしに行く。

内覧会の説明を一通り聞き終えた後、話した。これまで調べ、聞いた事を話し、大丈夫だと思いますと元気いっぱい伝えた。

だけど、また「難しいです。」の言葉が返ってくる。

それは難しいけど出来るかもしれないということでは?

そう考える私。私は食い下がった。

「なんとか、〇〇さんで建ててもらいたんです。ダメですか?調べました。もう一度展示場に行っても何ともありませんでした。病院にも行きました。お願いします。」

頑張って伝えようとした。

だけどダメだった。工務店さんはずっと「難しいです。」とばかり繰り返す。諦めきれず、何度も伝え、お願いする。次の内覧会予約のお客さんが来てしまっていた。

最終的には、「.....無理です。」と、営業担当の方は力細く言った。

私も、もう力を落とす。ああ、無理だと分かった。

受け入れたくはない、諦められない、だけどせめて当たり前の事を言ってこの場を終わらせなくては。

か細い声で「ありがとうございました。」と言いながら内覧会の玄関扉を閉めた。

 

 

どん底に突き落とされる。まさにそんな感じだ。

ハウスメーカー、近隣の工務店、いくつか巡りようやく見つけた、低価格で良い家を造ってくれる工務店だった。

優良工務店の本にも選ばれている。内容も自分達が目指したものが詰まっていた。真面目で穏やかな人柄の営業担当の方と社長さん。

こんな良い工務店は他にはないと思った。

 

思い描いていた夢がボロボロと崩れ落ちていく感覚。どんなに頑張っても努力しても叶わない。内覧会の後、夫の運転する車の助手席で、静かにこの現実を噛みしめていた。

  

 

 

 

———その後、私の次なる行動は早かったと思う。

 

 

すぐにまた近くの工務店情報を集め、片っ端から電話し、坪単価や内容などを聞き、自分達の理想の家づくりをしてくれそうな工務店をもう一度探した。

しかしどこかで、断られたあの工務店さんぐらいの所など見つかるとは思えなかった。以前だって結構な時間をかけて探したのだから。

その時、ふと思い出す。

4月、前の工務店さんの理解を得るため躍起になっていた時に見つけたとある住宅展示の看板を。その際、軽く見学できるか連絡した事を。

看板の主は建築も行っているという不動産会社だった。写メは残していた。

夫に一応あの看板の会社にもう一度聞いてみると伝えた事を覚えている。4月に電話で聞いた時は吹き抜けの話をしていたので、自分達の予算では難しい住宅だろうと、期待してはいなかったが。

ところが再度電話した際、聞いた坪単価が自分達の許容範囲だった。

瞬間、私の心はもう一度踊りだした。

詳しい住宅内容は、次期社長の者に電話させますとの事で、後にその方から電話がかかってきた。

ある程度の住宅説明を受けた際、今の担当者でもあるこの方の発した言葉に夢への期待が高鳴る。

 

「ご家族の方に、他の工務店より良さそうですとお伝えください。」

 

いい予感がした。

 

 

 

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